追悼 布施 宇一 顧問
12月15日、動労千葉顧問であり、OB会事務長であった布施宇一さんが亡くなられました(享年79歳)。謹んで哀悼の意を表します。
16歳の時から働き、夜間高校から19歳で国鉄に就職、20歳で機関助士、24歳で気動車運転士、まさに「叩き上げの労働者」という言葉がぴったりとくる方でした。
「私は1972年の船橋事故の時、300人以上の重傷者が出たけれど、それでも『運転士が全部悪い』と言われることに納得ができなくて、労働運動に入った人間です」と、動労千葉地本千葉気動車区支部書記長、動労千葉本部書記長、同副委員長と組合役員を歴任し、1986年動労総連合結成以降は同書記長を15年にわたって務めました。
分離・独立闘争から三里塚ジェット燃料貨車輸送阻止闘争、国鉄分割・民営化反対闘争など数々の大闘争を指導されました。
当時、青年部であった自分にとって、動労本部革マルによる1980年4・15津田沼支部襲撃事件を理由に不当解雇されるも、「腹の底からの怒り」で、仁王立ちして闘いの先頭に立つ姿、その衝撃と強烈な印象は40年以上経つ今も変わることはありません。
「きちんとした方針を出すことも大変ではあるけれど、原則を曲げないで、職場の『やろうじゃないか』という気運をつくっていくことは、その何十倍も骨の折れることなんだよね。そこで汗を流さなければ、役員・活動家は本物になれないと思います」
「私は職場で仲間と話をすると元気が出る」、この布施精神で新たな決戦を闘い抜きます。見ていてください。
(佐藤正和 動労千葉副委員長)
関西生コン支部への弾圧を許すな!
12・12全国同時アクション
12月12日、関西地区生コン支部への弾圧を打ち破ろうと、大阪、名古屋、横浜広島、博多、札幌、沖縄など全国各地で「弾圧をはねのけろ12・12全国同時アクション」が行われた。
東京では、「関西生コン労働組合の弾圧を許さない東京の会」の呼びかけで新宿駅東口アルタ前でリレーアピールとデモ行進が行われた。まず、関生支部の武谷書記次長と解雇撤回を闘う組合員が発言に立ち、現場から断固闘い抜くと決意を表明した。東京の会共同代表の木下武男さんは「関生支部のような組合が広がったら日本全体が変わってしまう、だから弾圧した。この闘いに多くの支援を」と訴えた。動労千葉から佐藤副委員長が「関生弾圧を許さない闘いは、日本に闘う労働組合をよみがえらせる闘いだ」と発言した。
津田沼駅前で街宣
千葉でも、12月10日夕方、JR津田沼駅前で、「許すな弾圧!関西生コン労組を支援する千葉の会」呼びかけでビラまき、署名行動が行われた。「千葉の会」は9月23日の「棘2」船橋上映会の実行委の仲間を中心に集まり、毎月の学習会を通して結成された。