「働き方改革」法案成立弾劾!
全国過労死を考える家族の会 佐戸恵美子さん
「御用組合ではダメだ!」
「御用組合ではダメだ!」
6月29日、安倍政権は「働き方改革」法案の成立を強行した。過労死で家族を亡くした方々の悲痛な声。長時間労働と低賃金、劣悪な労働条件に苦しむ多くの労働者。そのすべてを踏みにじる行為だ。われわれは腹の底からの怒りで弾劾する! それは、長時間労働問題のみならず、労働者の団結と権利、労働基本権を根本から打ち砕く、「戦後70年の歴史の中で最大の転換」攻撃だ。
6月10日の国会前大行動での、全国過労死を考える家族の会 佐戸恵美子さんの発言を一部紹介します。
NHKで報道記者をしておりました佐戸未和の母、佐戸恵美子でございます。
悲しみと苦しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を世の中にきちんと伝えたい。いてもたってもおれない気持ちで今日、駆けつけてきました。
主人の携帯に突然、会社の上司から、「未和さんが亡くなられた」と入りました。ほんの1週間前にテレビニュースで「以上選挙放送でした」という未和が、今でも脳裏に焼きついています。人生の道なかばに達することもなく、生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでなりません。なぜ最愛の娘を守ることができなかったのか。今も深い後悔の念に苛まれています。
どこに裁量があるのか
未和の死はあまりに突然でした。猛暑日が続く炎天下、2カ月にわたって立て続けに大型選挙があり、未和は取材報道に駆け回りました。しかし、選挙が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなりました。
選挙取材は本来の担当業務に加えて新たに発生する臨時の、しかも待ったなしの集中業務です。土日もなく連日深夜まで働き、まともに睡眠をとっていませんでした。
夜中の2時まで働き、翌日は6時に出社。こういう日が連日、続きました。生身の体は壊れます。途中で戦線離脱できるはずもなく、自分の体にむちうちながら選挙が終わるまで、突っ張るしかなかったんです。
どこに裁量がありますか!
ベテランの男性記者の中に女性一人。どうしてもがんばってしまいます。同じ職場の男性ベテラン記者に比べ、未和の仕事量ははるかに多かったと聞きました。「愚痴をこぼすことも、悩みを打ち明けることもなく、最後まで死ぬまで苦しそうに働いていました」と語ってくれた同僚もいました。
〝裁量労働で過労死は自己責任〟
労働時間は、亡くなる直前で209・9時間。その前の月は188・9時間でした。 死後、上司には「記者は時間管理ではなく、裁量労働で個人事業主のようなもの」と何度も言われました。労働時間を自己管理できずに死んでいった未和が悪かった、と言われているようでした。
会社は、未和の過労死について誰も責任を取らず、事実を4年間、社員にすらひたすら伏せてきました。公表するにあたり、会社は「労災認定されたが、自分たちは法律違反はしていない」という考えでした。
「御用組合ではダメだ!」
組合もありましたが何も動いてません。何のための組合か、誰のための組合か、今でもわかりません。御用組合ではだめだ!
未和は夜討ち朝駆けのハードな生活にも弱音を吐かず、会社を愛し、報道記者という仕事に誇りと愛情を持っていました。7月末には県庁キャップとして横浜に勤務。9月には結婚。生きる気まんまんでした。
母親にとって過労死でわが子に先立たれるのは、自分の体をもぎ取られる以上の、世の中のあらゆる苦しみの中でも一番の苦しみです。娘はかけがえのない私の宝、生きる希望、夢、そして支えでした。
私たちと同じ苦しみを背負う人が2度とあらわれないよう、高プロという過労死促進法を絶対に通さないよう、過労で命を落とさざるをえなかった娘、息子たちが命がけで母の背中を押してます。なんとしてでも高プロ、撤廃です。みなさんともに闘いましょう。ありがとうございました。
ニュースへのリンク
6月10日の国会前大行動での、全国過労死を考える家族の会 佐戸恵美子さんの発言を一部紹介します。
NHKで報道記者をしておりました佐戸未和の母、佐戸恵美子でございます。
悲しみと苦しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を世の中にきちんと伝えたい。いてもたってもおれない気持ちで今日、駆けつけてきました。
主人の携帯に突然、会社の上司から、「未和さんが亡くなられた」と入りました。ほんの1週間前にテレビニュースで「以上選挙放送でした」という未和が、今でも脳裏に焼きついています。人生の道なかばに達することもなく、生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでなりません。なぜ最愛の娘を守ることができなかったのか。今も深い後悔の念に苛まれています。
どこに裁量があるのか
未和の死はあまりに突然でした。猛暑日が続く炎天下、2カ月にわたって立て続けに大型選挙があり、未和は取材報道に駆け回りました。しかし、選挙が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなりました。
選挙取材は本来の担当業務に加えて新たに発生する臨時の、しかも待ったなしの集中業務です。土日もなく連日深夜まで働き、まともに睡眠をとっていませんでした。
夜中の2時まで働き、翌日は6時に出社。こういう日が連日、続きました。生身の体は壊れます。途中で戦線離脱できるはずもなく、自分の体にむちうちながら選挙が終わるまで、突っ張るしかなかったんです。
どこに裁量がありますか!
ベテランの男性記者の中に女性一人。どうしてもがんばってしまいます。同じ職場の男性ベテラン記者に比べ、未和の仕事量ははるかに多かったと聞きました。「愚痴をこぼすことも、悩みを打ち明けることもなく、最後まで死ぬまで苦しそうに働いていました」と語ってくれた同僚もいました。
〝裁量労働で過労死は自己責任〟
労働時間は、亡くなる直前で209・9時間。その前の月は188・9時間でした。 死後、上司には「記者は時間管理ではなく、裁量労働で個人事業主のようなもの」と何度も言われました。労働時間を自己管理できずに死んでいった未和が悪かった、と言われているようでした。
会社は、未和の過労死について誰も責任を取らず、事実を4年間、社員にすらひたすら伏せてきました。公表するにあたり、会社は「労災認定されたが、自分たちは法律違反はしていない」という考えでした。
「御用組合ではダメだ!」
組合もありましたが何も動いてません。何のための組合か、誰のための組合か、今でもわかりません。御用組合ではだめだ!
未和は夜討ち朝駆けのハードな生活にも弱音を吐かず、会社を愛し、報道記者という仕事に誇りと愛情を持っていました。7月末には県庁キャップとして横浜に勤務。9月には結婚。生きる気まんまんでした。
母親にとって過労死でわが子に先立たれるのは、自分の体をもぎ取られる以上の、世の中のあらゆる苦しみの中でも一番の苦しみです。娘はかけがえのない私の宝、生きる希望、夢、そして支えでした。
私たちと同じ苦しみを背負う人が2度とあらわれないよう、高プロという過労死促進法を絶対に通さないよう、過労で命を落とさざるをえなかった娘、息子たちが命がけで母の背中を押してます。なんとしてでも高プロ、撤廃です。みなさんともに闘いましょう。ありがとうございました。
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