2017年4月14日金曜日

外注化阻止ニュース 第314号

http://www.doro-chiba.org/ga/gaityuuka314.pdf


東労組「30年検証運動」の真実
国鉄分割・民営化30年
あのとき職場で何が起きたのか
 

 4月1日で国鉄分割・民営化から30年となりました。JR東労組は〝30年検証運動〟を展開し、「国鉄改革の大事業を担った先輩たち」「組合員の雇用を守った」と言っています。だが真実はまったく違います。国鉄分割・民営化とは何だったのか。けっして忘れてはならないことがあります。

20万人が職場を追われた

 「国鉄改革」とは何よりも戦後最大の首切り攻撃でした。
 81年当初の職員数は40万1400人。それから6年後、民営化されたJR各社に採用された社員数は20万5400人。わずか6年で約20万人の国鉄労働者が職場を追われたのです。
 クビを切るための余剰人員を生み出すためにダイ改のたびに何万人もの合理化が強行され、民営化に反対する組合からの脱退強要が吹き荒れ、「希望退職」という名の退職強要がまかり通りました。
 さらに全国1千か所以上に「人活センター」と称する隔離収容所がつくられて、何万人という組合役員・活動家が職場から切り離されて配転されました。
 1987年4月にJRが発足した時、50歳以上の者は一人も居ない状態でした。いかに攻撃がすさまじいものだったのか。職場は50歳以上の者が「JR採用を希望する」と言い出せない雰囲気が支配していたのです。

「雇用を守る」の卑劣なウソ


 この時に「労使共同宣言」を結び、民営化と首切りの手先になったのが現在の東労組でした。「後進に道を譲れ!」と高齢の組合員に退職を迫り、さらには「血の入れ換え」と称して、東労組(旧動労)組合員を「広域配転」で様々な職場に送り込み、その職場の動労千葉や国労組合員の首切りを迫ることまで行ったのです。
 こうした現実の中で民営化に至る最後の2年間に200人の国鉄労働者が自ら生命を断ったのです。ここまで国鉄労働者を追い込んだ国鉄当局と東労組(旧動労)は絶対に許されません。

「首を切れ」と当局に申し入れ

 千葉では、国鉄当局と手を結んで、総武快速線や総武緩行線、成田線(成田―我孫子)の運転業務数千キロ分を東京に移管して余剰人員を生み出し、「お前らクビだ」と動労千葉組合員の首切りを求める攻撃にまで手を染めました。
 これが東労組が「職場と仕事と生活を守るために血と汗と涙で国鉄改革を担った」と称していることの真実です。「雇用を守った」など真っ赤なウソなのです。守られたのは東労組役員たちの地位と利権だけでした。

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