「台湾有事」と中国侵略戦争
1・30全支部活動者会
「台湾有事」と中国侵略戦争【要旨】
高山俊吉弁護士
(改憲・戦争阻止!大行進の呼びかけ人)
労働組合と戦争の問題は切っても切れない問題だ。1982年中曽根は、「国鉄分割民営化で、国労、総評をつぶし社会党を解体する。新しい憲法を床の間に飾る」といった。そのために闘う労働組合を根絶し、戦争ができる国に根本から創り変える、というのが中曽根・新自由主義攻撃だった。その決戦場が現在にある。
一、台湾をめぐる歴史
今の状況を正確に把握するためには、歴史をつかむことが重要だ。台湾問題の歴史を簡単にチェックしたい。
1894年から95年にかけて李氏朝鮮の覇権をめぐって日清戦争が行われ、日本が勝利し朝鮮を支配した。中国から遼東半島と台湾と澎湖諸島を分捕って日本の植民地にした。そして膨大な賠償金を略奪した。そして日露戦争があり中国大陸に本格侵略し、満州事変、日中戦争になり太平洋戦争となって、1945年に日本は敗北する。
◆台湾問題での日本の立場
51年サンフランシスコ講和条約で台湾放棄を確認。72年の日中共同声明で、「台湾は中国の不可分の領土である」ことを確認した。「日中友好」とよくいわれ、上野のパンダはその時にきた。
2007年福田首相が訪中し、「台湾問題に対する日本の立場は一貫している。我が国は台湾の独立を支持しない」と表明した。
19年、習近平は、「台湾の平和的な統一」から「台湾独立・分裂活動阻止に武力行使を放棄しない」ことを表明。20年、李克強首相が「台湾とは再統一されねばならないが、必ずしもその手段は平和的とは限らない」と表明。去年の21年、米海軍は、「太平洋軍」の名称を「インド・太平洋軍」とし、中国を包囲すると対中国戦争戦略シフトに変更し、「6年以内に台湾有事」の可能性を表明した。中国の国力がアメリカを凌駕するのは6年後だから、その前に決着させるということか。
◆「存立危機事態」
去年7月、麻生財務大臣は「台湾で大きな問題が起きたら、我が国の存立事態の危機に関係しないことはない」と言った。「存立事態」とは、「国が立っていられるか否か」の局面。15年の安保法制で、「我が国の存立危機事態にかかわること」となったら、改憲をしなくても「日本が他の国と一緒に戦闘行動に参加することができる」という法律を作った。戦前の日本で叫ばれた「皇国の興廃、この一戦にあり」と、「存立危機事態」は同じ言葉だ。
さらに昨年7月の防衛白書で、「台湾情勢の安定は日本の安全保障や国際情勢の安定にとって重要だ」と麻生と同じ中身を発表した。
それを受けて、岸田首相は1月の国会施政方針演説で「敵基地攻撃能力を含めてあらゆる選択肢を現実的に適用する」「スピード感をもって防衛力の抜本的強化」と表明し、戦後日本の「専守防衛」を完全に取っ払った。さらに対中国戦争を想定し、鹿児島から奄美、沖縄本島、宮古、石垣島を結ぶ「島嶼防衛力の高度化、南西諸島への備えの強化」を表明した。
日本は戦争に敗れ、台湾は中国の一部であることを承認した。ウイグル、香港、台湾への中国指導部の姿勢を見て、今までと違ったものを私も含め多くの人も感じている。しかし、そのことを政権幹部や要人が言うのとは意味が違う。習近平主席は「内政干渉」と言うがそれも違う。他国で行われている人権侵害に対して間違いだと批判するのは当然だ。
では、何が違うか。岸田政権は、「中国の人権侵害を許していいのか」と対中国戦争政策を正当化し、国民の支持をつくるために使うのだ。そこにくさびを打ちこまなくてはいけない。間違いを間違いということは自由だ。「戦争は認めない」と並存させなくてはいけない。
二、差し迫る米日政府・資本の中国侵略
戦争の危機が迫っている。昨年9月から11月にかけて、陸自10万人が九州、西南列島を中心に軍事演習を行った。
今、ロシアはウクライナ周辺に10万の軍隊を動員して演習を行っている。戦争に突入する状況だ。
戦争は、起きないだろうという気分を強烈にただよせながら突入する。太平洋戦争突入の過程もそうだった。まさかと思わせて真珠湾への奇襲攻撃だ。日本の国民に対しても奇襲だった。
◆ 「バーゼル宣言」
今から100年前の1912年11月、スイスでヨーロッパの労働者大会が開かれた。「ヨーロッパ大戦が迫っている。労働組合の責任で阻止しよう」と「バーゼル宣言」がだされた。2年後の1914年に戦争が始まった。第一次世界大戦は一発の銃声で始まったと言われているが、営々とした戦争準備と反戦運動の中で始まったのだ。
◆「台湾有事」の本質
「台湾有事」とは、謀略語であり欺瞞語だ。日本が中国へ侵略することを正当化するためものである。かつて日本は、「興亜」「大東亜共栄圏」「5族協和」「東洋平和」と、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と侵略戦争に突っ込んだ。いま、同じことが繰り返されようとしている。それが「台湾有事」の本質だ。
三、資本主義の戦争志向
① 資本主義の本質
18世紀後半、イギリスで産業革命が起きた。産業資本家たちの思想が自由主義だ。
労働者は過酷な労働を強いられ、死んでもそれは資本家の自由なのだ。しかし、労働者が死んでしまったら生産活動は止まる。そこで18世紀初頭、工場法ができた。決して労働者の基本的人権を守るというものではない。「生かさず殺さず」だ。日本では1911年に成立した。
② 福祉国家政策の登場
資本主義の本質は自由主義だ。資本にとって自由が貫徹する。労働者は生きるためにストライキに起ちあがり弾圧で血が流された。その中でマルクス主義が生まれ、世界に広がり、それが具体的に実を結んだのが1917年のロシア革命だ。労働者が社会の主人公の国が生まれた。世界の資本主義国家権力を震撼させた。
このまま放置すると革命が起き、資本主義社会がひっくり返される。そうさせないためにはどうすればいいのか。そこで出てきたのが福祉国家論だ。制限された自由主義、労働者の声を一定耳を傾けなければならない。働きすぎて死ぬことはない、教育は無償で働けなくなっても福祉がある。金持ちのためのものだった音楽や芸術など文化も、週末には少しは楽しむことが可能になる。そうしないと革命が起きる。
アメリカでは、これを「ニューディール」(労働者との新しい取引)と言った。「すこし実入りが減るが、資本主義は延命できる」という政策だ。日本の社会福祉、年金や社会保障などの政策は、ほとんどがニューディール政策から出てきた。日本国憲法の様々な人権規定もニューディール政策だ。
資本主義国家は、福祉国家政策の一方で、戦争を繰り返した。戦争は儲かるからだ。日本も朝鮮特需、ベトナム特需で大儲けし、庶民も少し生活が良くなった。それが戦争を期待する声になる。戦争の中に組み込まれた経済の好循環。それが戦争政策だ。福祉国家政策が進められる一方で戦争政策がすすめられた。しかし、それが大恐慌で大崩壊する。1929年の大恐慌・第2次世界大戦へ。30年後の1974ー75年恐慌(石油ショック)が起きた。
③ 新自由主義の登場
福祉国家論で資本主義は延命できなくなってきた。そこで何が生まれたか。1980年、サッチャー、レーガン、そして中曽根の新自由主義政策だ。新自由主義とは、「福祉国家はダメだ」という自由主義だ。労働者がどんなに働こうが死のうが、それをヨシとする時代に入ったということ。「もう一度福祉国家に戻ろう」と主張する人がいるが、それができないから自由主義に戻ったのだ。時代がギリギリなところに来たのに最後まで目をつぶる。自分だけではなく、みんなも目をつぶれと。戦争がここまで来ているにもかかわらず、「そんなことはなさそうだ」と言っているのとも同じだ。
④ 資本主義の戦争志向
資本主義の死期が目の前に迫り、「裸の自由主義」に戻る以外に生き延びる方法が無くなったと時、資本家が考えるのは戦争しかない。戦争は確実に利益を生むからだ。戦争のおこぼれで国民を黙らせることができる。資本主義には戦争志向の必然性がある。
⑤ 9条改憲要求
2015年9月、安保戦争法の成立で、「存立危機事態」では改憲しなくとも、日米共同軍事行動が可能となった。しかし、支配権力は改憲なしで戦争ができると思っていない。「戦争はよくない」という国民の心情を憲法9条が後押ししているからだ。戦争を躊躇なくできるようにしたい。だから岸田は改憲を「着々と進める」と今国会に臨んだ。自民党の各県本部に改憲実現運動本部を作れと檄を飛ばしている。マスコミはあまり報道しないが、しないときが戦争になる時だ。
四、反戦と改憲阻止の闘い
この地上から闘う労働者・労働組合を壊滅させることが、新自由主義の命題だ。我々にとって、そこを叩き潰すことが使命になる。新しい社会をつくるしかない。小手先の手直しで変わることは全くない。「『なんとなく安倍は嫌だという人が手を結び結集し、安倍を倒そう」という議論があった。「なんとなく」の闘いはない。
闘う労働者と労働組合が、戦争阻止・改憲阻止の闘いの先頭に立つこと。多くの労働者民衆は、日々の生活のなかで闘う労働組合に対する深い信頼と期待、その必要性について、深いところで思いがある。我々は少数派ではなく多数派であること。ここに深い確信をもつことを強く希望する。
最後に、吉田嘉七の「僕ら子供は」という詩を紹介したい。
銀行が倒産し/市電はストでよく止まった/工場地帯では赤旗が立っていた/ルンペンが塵芥箱を漁り/公園のベンチで1日寝ている人もふえた/月給が下がったと言う/物が売れないのだと言う/農村は冷害で作物がとれないのだと言う/弁当を持って来られない友達もいた/大人達の暗い表情が暗い街に溢れた
満州で戦争がはじまったのは/ぼくが中学一年の時だ/物がぼつぼつ上り出し/景気が良くなって来たらしい/「戦争が始まって良かったね」/大人達のつぶやきは/子供のぼくらの耳にも入った
やがて戦争で殺されるぼくらのー
戦争がはじまったとき、大人たちは喜んでいた。だけど僕らは戦争で殺されることになった。自分は辛くも生き返ったが、悔恨の思いを歌にした。戦争はこういう形で現実化する。
真実を見抜くこと。真実の中で語ること。真実の中で協議し団結すること。行動することが、この時代で生き、働く人たちの責任であり、可能性ではないのか。
(おわり)