2021年6月20日日曜日

日刊動労千葉 第8967号

「現業機関における柔軟な働き方の
実現について」
「融合化」提案の本質③

5月26日、「現業機関における柔軟な働き方」なる提案が明らかにされた。攻撃の本質を3回にわけて暴く。(第3回)

【攻撃の狙い5】グループ会社大リストラ・再編

それは当然、グループ会社の大リストラと再編を伴う攻撃だ。“グループ会社での副業解禁”はその脈絡の中で考えなければいけない。「活かしませんか?得意なこと」と“アンタのためだ”と言わんばかりの打ち出し方がされている。しかし、「目的」は「新たなサービス・付加価値の創造につなげること」とされている。“副業しない人間は落ちこぼれるぞ”ということだ。

しかも「月60時間」は過労死ライン(月80時間)の一歩手前だ。「働き方改革」の建前は過労死が多発する現実を防止することではなかったのか? それなのにJRは過労死一歩手前まで働かすことを制度化するのだ。「副業」だから時間外の加算をする必要もない。「60時間」も「自己管理」だと言う。一体これは何なんだ?!

こういう形で労働者を駆り立ててグループ会社の大リストラ―再編を強行しようというのだ。その結果生み出されるのは、JRで働く労働者のほとんどが、超低賃金・無権利の檻の中に閉じこめられていくということだ。

実際、JR東日本は来年からJR本体採用は激減させるという。鉄道で働きたい者はグループ会社に入るしかなくなる。その賃金は何年働いても20万円に届くか届かないかという低水準だ。そして今度は、好むと好まざるとに関わらず「副業」しなければ食ってけない現実が社会全体に広がっていくのだ。

人間と安全を破壊する破滅的政策

安倍・菅政権や財界は、労働者の権利やこれまでの規制を根本から打ち砕こうとしている。実は、今JR東日本が突き進んでいる道は、「労組なき社会」のモデルを作ってそれを社会全体に拡張しようという攻撃を含め、それを最先端で既成事実化しようとするものだ。

JR各社の中でも東日本が突出している。それは『日経新聞』ですら、今回の融合化提案について、「JR東海やJR西日本ではこのような働き方は取り入れられていない」とわざわざ書いているほどだ。

だが、こんな非人間的な形で駆り立てられたらJRで働く労働者は間違いなくボロボロに破壊されることになる。今でもそうだが、身体を壊しメンタルをやられる者が激増するだろう。働くことの誇りが最後のひと欠片まで壊されたら、人間はそれに耐えきることはできない。

そして何よりも安全の崩壊という形をとって破たんする。民営化された地方都市のバス会社で起きているように、鉄道を動かす労働力を確保することができなくなるという形をとって破たんする。技術力の崩壊という形をとって破たんする。切り捨てられ続けてきた地方の怒りの声の爆発となって破たんする。

JR東日本は鉄道の社会的意味や公共性を完全に見失い、破滅的政策のレールを突き進んでいる。その根底にあるのは、鉄道民営化政策そのものがもつ問題と破たん性に他ならない。

“労働組合の再建”が唯一の回答

すべてが“コロナ”を理由にして“仕方がない現実”かのように宣伝され、描き出されている。「活躍フィールドを拡大させる」とか、たいそうな美辞麗句で飾り立てられてはいるが、そのすべてが“格差社会”“自己責任論”の風潮に乗っかった戯言に他ならない。

国鉄分割・民営化を契機に社会を呑み込んでいった新自由主義は人々の幸福など生み出さなかった。“競争こそが豊かさの源泉だ”と言われたが、現実は多くの労働者にとっては底辺へ、底辺へと落ちてゆく競争だった。その陰でどれだけの労働者が首を切られ、貧困・非正規職に突き落とされ、正義や権利が奪われ、生活がなぎ倒され、医療や教育が破壊され、地域社会が切り捨てられてきたのか? 労働組合を徹底的に潰すことによって、それが可能となった。だから唯一の回答は“労働組合の再建”だ。

すべてが限度と限界をこえようとしている。それなのに、坂を転がり落ちるようにより極端化された新自由主義のレールを暴走しているのがJRだ。こんなことをしたら間違いなく社会は崩壊し、鉄道は崩壊する。

動労千葉に結集しともに闘おう!

職場にはやり場のない怒り、“もう何を言ってもダメだ”という投げやりな気持ち、これからどんな扱いを受けるのかという不安が渦巻いている。必要なのは労働組合の再建だ。団結をとり戻して競争を止めることだ。団結した抵抗がなければ攻撃は底無しにエスカレートする。

この20年に及ぶ動労千葉の外注化阻止闘争や30数年に及ぶ分割・民営化反対闘争は、小さな労組の闘いでも労働者が揺るがない団結を固めて本気で闘えは資本の思い通りになどさせない力をもっていることを示した。こんな攻撃を許してはならない。心から訴えます。動労千葉に結集し共に闘おう。