2011年7月6日水曜日

4者4団体の「闘争終結」に際して

動労千葉が声明

国鉄闘争の火を消してはならない!
―4者4団体の「闘争終結」に際して訴える―

闘いの旗を降ろしてはならない

 6月24日、原告団・国鉄闘争共闘会議が「闘争終結」を表明した。
 同日に開かれた共闘会議総会で、二瓶議長が「政党関係者から『JR雇用はゼロ』と聞かされた。不満だがもう展望はない。共闘会議も闘争を終結し、6月30日で解散したい」と提案。出席者からは、「政府やJRの対応がひどいのは予測できたことだ。それよりこの1年間何の運動もしてこなかったことが納得できない。これでは尻きれトンボだ」「JR7社の声明を認めることはできない。共闘会議解散に反対する。雇用を拒否したJRに抗議すべきだ」「当事者にも納得できない者がいる」等の反対や抗議の声が相次いだが、「闘争終結・解散」はすでに事務所の撤退まで含めて準備され、後戻りのできないものであった。新聞報道でも「24年超にわたる闘いは後味悪い結末を迎えた」と書かれている。4者4団体は「雇用」を放棄して最終的に闘いの旗を降ろした。

「闘争終結」に至る経過

 「雇用問題の解決」は、昨年の政治解決案で、「政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRに採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できない」とうたわれたものであった。だが、政府は当初から本気で雇用を確保する気などなかったことは明らかであった。
 一方、4者4団体は「雇用がなければ闘いは終わらない」「雇用がなければ路頭に迷い敗北だ」と言っていた。だが、実際は、「JRへの要請行動や地方議会等への要請は中止する。政治の窓口に委ねるのが最善の道」(昨年7月の国労全国大会)というのが「方針」であった。つまり「何もしない」ということだ。さらにこの3月には、大震災を理由として、「雇用問題の取り組みを中断します」という4者4団体声明が出され、5月には、国労本部濱中書記長が「雇用問題の解決は震災発生以降、かなり厳しくなったのではないかと認識している」と公言していた。これは、「雇用などいらない」と表明したに等しいことであった。
 こうした中、民主・国民新・社民3党の申し入れを受け、国交省が6月13日にJR7社に「雇用」を要請したが、JR側はその場で7社連名の文書を提出してそれを拒否した。
 国交省はJRのこの対応に不快感を示したというが、JR北海道や九州、貨物の株式は今も100%国が保有しており、その権限を行使すれば「解決」はついたことである。JR側は、政府が本気でやる気などないことを承知していた。
 一方、4者4団体はこの事態に抗議声明すら出さず、「もう展望はない」と唐突に闘争終結を宣言したのである。
 ブログなどでは何人もの闘争団員から怒りの声があげられている。しかしその声は無視され、闘いはあっけなく投げ捨てられた。

何のための闘いだったのか

 1047名闘争は、一人ひとりの闘争団・争議団やその家族にとっては、24年にもわたる文字通り人生をかけた闘いであった。それがこんな形で終わっていいはずはない。何のための24年間の闘いだったのか。国労本部をはじめとした4者4団体の幹部たちの思惑によって誇りを打ち砕かれ、翻弄されていいはずはない。
 とくに国労本部は、当初から、不当解雇された組合員を全力を尽くして守り、支えようとはしなかった。はじめから「お荷物」であった。建前と本音が天と地ほど違う状況の中、闘争団は苦しい生活と闘いを余儀なくされ、闘いは国労本部とも激しく衝突せざるを得なかった。それでも1047名闘争は輝きと力を失わなかった。その全過程を支えてくれたのが全国の支援の仲間たちであった。
 4者4団体の形成をきっかけに闘いの様相はさらに一変した。政府やJRに対する大衆的な闘いは放棄され、民主党に「白紙委任状」を出すなど、政治工作だけが「運動」となり、職場では資本との「包括和解」が進められた。民営化-国家的不当労働行為への怒りの声、当初は誰もが訴えていた労働運動再生への熱い思いはほとんど聞かれなくなり、闘いの長さ、困難さだけが強調されるようになった。今回の闘争終結でも、その理由は、「一区切りつけてやらないと闘争団が可哀相だ」と説明されている。
 しかし、その結果生まれたのは、闘争団の生活や闘いを支える支援の力の離反であり、政府や連合に感謝の意が表される一方、闘いの継続を訴える者は「妨害勢力」と呼ばれる本末転倒した姿であった。

「政治和解」から1年目を逸らしてはならないこと

 こうした状況の中、昨年4月9日、「政治和解」が成立した。しかし、それは、「人道的解決」の名のもとに、民営化や国家的不当労働行為による大量解雇、吹き荒れた労組破壊攻撃の社会的責任・法的責任を不問に付すものであった。
 それから1年。誰もが目を逸らして語ろうとしないが、現実に進行したことは労働運動とその未来にとって大変な事態であった。
 国労は「和解」した途端に闘争団員の組合員資格をはく奪し、連合加盟の意志を表明し、「これからは企業内組合に撤する」として、就業規則そのものである「総合労働協約」の締結をJRに申し出て、この7月の国労全国大会では、JRに雇用された者だけを組合員とする「規約改正」案が提出されようとしている。
 戦後日本の労働運動の牽引車であった国労、そうであるがゆえに分割・民営化攻撃の矛先が集中した国労が、1047名闘争の旗を降ろした途端にここまで転落し、そして今、「闘争終結」が表明されたのである。

勝利の展望は闘いの中にある

 1047名闘争は、国鉄分割・民営化から始まった新自由主義攻撃への対抗力であり、反撃の拠点であった。国鉄分割・民営化で何が起き、それ以降労働運動がどれほどの後退を強いられ、労働者がどれほど酷い現実におかれていったのか。そのことを考えたとき、1047名闘争がこんな形で旗を降ろしたとき、労働者の権利、労働運動の未来は一体どうなるのか。
 われわれはそうした時代への危機感をもって、昨年6月、「国鉄闘争の火を消してはならない」と訴え、国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回を支援する全国運動(国鉄闘争全国運動)を立ち上げた。この訴えは、呼びかけ人を先頭とした全国の仲間たちの努力によって大きく広がりはじめている。40の地域や職場に全国運動の地方組織や支援する会が結成され、新たな闘いが根を張りはじめている。
 われわれがこの運動で目指すのは、第1に、労働運動の後退・権利喪失の原点となった国鉄分割・民営化を絶対にあいまいにせず解雇撤回をかちとること、第2に、新自由主義攻撃に立ち向かう全国の労働者の階級的団結をつくりだすこと、第3に、どんなに小さな芽であっても職場から自主的な闘いをつくりだすこと、第4に、全国の力で解雇された仲間たちを支えることだ。
 動労千葉は、この1年、5波のストライキに立ち上がり、業務の全面的な外注化攻撃を阻止した。相次ぐ組織破壊攻撃との困難な闘いの過程だったが、JR千葉支社では10年にわたり、検修・構内業務外注化を阻止し続けている。この闘いの渦中で若い仲間たちが動労千葉に結集しはじめている。
 労働組合の力は職場の団結にあり、勝利の展望は闘いの渦中でこそ生まれる。われわれは、どんな困難なときもこの原点を忘れずに闘い続ける決意だ。

労働運動の危機と国鉄闘争

 3月11日の大震災と原発事故を契機に情勢は一変した。高濃度の放射線によって無数の人々が生命の危機にさらされ、すでに全国で数十万人の労働者が職を失って路頭に迷い、被災地の悲惨な現実を口実として政府の号令一下、公務員労働者の賃金が削減され、農・漁業は壊滅的な打撃を受け、大増税や社会保障制度の解体攻撃が襲いかかろうとしている。
 怒りの声は社会の隅々まで積み上がり、デモとなり、政府や東電への抗議行動となり、生き抜くための闘いとなって燃え上がっているというのに、労働運動の深刻な危機が生まれている。多くの労働組合はこの現実に抗議の声すらあげず、「復興」の名のもとにナショナリズムや挙国一致が煽られる中、階級的視点や闘いが放棄されている。
 JRの職場でも、昨年の「政治和解」をきっかけに、「国鉄分割・民営化の総決算」というべき攻撃が始まっている。JR東日本は、国鉄労働運動の最後的な解体を狙って、JR東労組と手を結んだ分割・民営化以来の職場支配・労務政策の大再編に踏み出した。その前提となったのが1047名闘争の「政治和解」と国労の労資協調路線への転落だ。
 業務の全面的なアウトソーシングによる雇用破壊・非正規職化、基地・職場の大再編による団結破壊、賃金制度改悪等、「民営化の完成」に向けた労働者への攻撃が激しく吹き荒れている。
 われわれは、解雇撤回・外注化阻止の闘いを軸に、この攻撃に組織の総力をあげて立ち向かい、その渦中で何としても組織拡大を実現する決意を固めている。

国鉄闘争の火を消すな

 われわれが国鉄闘争の中で追求してきた課題がより普遍化し、より切実に求められる時代が到来している。国鉄闘争の火は絶対に消してはならない。労働運動の復権こそがこの時代に求められている最先端の課題だ。われわれは、それがいかに困難な課題であっても、確信をもってこの道を進むことを決意している。国鉄闘争の火を消すな。1047名解雇撤回、業務外注化阻止、新自由主義・震災解雇と闘う反原発・反失業大闘争をつくりだそう。
 全国の仲間たちに訴えます。わたしたちは闘い続けます。国鉄闘争全国運動、動労千葉の闘いへのさらなるご支援をお願いいたします。