2022年6月12日日曜日

日刊動労千葉 第9128号

分割・民営化の破たん
ローカル線「大虐殺」②


3「分割・民営化」体制崩壊!

分割・民営化とローカル線切り捨て

1987年に強行された国鉄分割・民営化は、戦後最大の労働運動解体攻撃であった。国鉄労働運動を叩きつぶすことによって“新自由主義”が日本に本格的に導入された。20万人もの国鉄労働者を職場から追放し、日本労働運動の牽引車と言われた国労を一気に切り崩すやり方は、まさに露骨な国家暴力の発動であった。

同じように有無を言わさぬ形で3157㌔・83線区に及ぶ地方ローカル線が大々的に切り捨てられ、廃線に追い込まれた。民営化のドサクサの中で無数の街が鉄道を失い生活が破壊された。一部は第三セクターとして地方自治体が引き継ぎ鉄道を維持した線区もあったが三セク化後に結局維持できず廃線化された線区も多い。

民営化に際し、輸送密度4千人未満の線区は「特定地方交通線」と位置付けられ、バス転換への代替輸送道路がない場合等いくつかの例外を除いて“原則廃線”と一方的に決めて問答無用で強行された。JRに移行した後も札沼線・日高線(北海道)、三江線(西日本)など廃線化は止まっていない。分割・民営化はローカル線大虐殺攻撃でもあったのである。

国交省検討会のウソ

だが、その枠組みによれば、民営化されたJR各社に廃止しなければいけない路線は基本的に一つもないはずだった。当時の政府の説明では〝痛みを伴うが民間活力を活用すれば公共交通にも地域社会にもバラ色の未来が待っている〟はずだった。

ところが、今やJR路線の57%が廃止基準以下だというのだ。検討会の資料では「人口減少」「乗用車保有台数増」「コロナ禍」が原因かのように言うが、それで説明のつく問題ではない。コロナ禍で確かに乗客は減ったが、コロナ禍前でもすでに41%が“廃線基準”以下だったのだ。

乗用車保有台数が激増したから鉄道の果たす役割が過去のものになろうとしているかのように言うのも、原因と結果をはき違えた議論だ。

この間、民営化・規制緩和・競争原理の社会への強制によって、鉄道だけでなくバス路線、小中学校、雇用の場、地域の商店街、あらゆる生活の基盤が徹底的に廃止に追い込まれ、破壊され、地域で生きていくことのできない社会がつくられた。乗用車の保有台数の激増はその結果に他ならない。“買物難民”だけでも全国に7百万~1千万人いると言われている。介護難民、医療難民…事態は深刻で、地方では車なしで生きてゆくことができないのが現実だ。

それどころか、全国で全地方自治体の約半分にあたる896の市町村が「消滅の危機」に立っていると言われている。鉄道廃線をはじめ様々な新自由主義的政策が相互に加速しあって社会が総崩れしようとしている。「選択と集中」の掛け声の下にすべてを競争原理の中に突き落とした民営化攻撃の結果だ。廃線化など絶対にやってはいけないことだ。

「危機的状況」を生み出したのは誰か?

JRはそうした政策のお先棒をかついできた。乗客が減ったのではない。意図的に乗客を減らしてきたのだ。それは、この間JR千葉支社がやってきたこと一つ見ても明らかだ。

千葉支社は単に地方ローカル線の運転本数を減らしていっただけでなく、「分離運転」と称して、房総や北総方面から千葉まで直通で上ってこれる列車をほとんど無くしてしまった。

外房線も、内房線も、総武本線も、成田線・鹿島線も途中で乗り継がなければ千葉まで上ってくることができない。内房線では館山のような観光地に行く特急列車を廃止し、久留里線では昼間時間帯に5時間も列車が走らないダイヤを組み…と、東京から70㎞以遠は乗客が乗らないように仕向けていると言って過言ではない。

「危機的状況」は何か客観的に存在するわけではない。国とJRによって意図的につくり出されたものに他ならない。

原点に返って考えよう

さらに原点に返って考える必要がある。鉄道網はまさに「網」であることによって本来の役割をなすものだ。川と同じで始まりはどこでも小さな支流だ。それが集まって大河になる。

地方鉄道が赤字というのは当たり前だ。鉄道を輪切りにして、どこが赤字でどこが黒字だとか言うことそのものがおかしい。山手線や総武線だけにしてしまっていいなら、それは移動手段ではあっても公共交通機関ではない。

地方が存在するからこそ大都市圏が存在する。それが社会というものだ。採算性の議論だけでなで切ってしまっていいはずがない。公共交通をカネ儲けの道具にしていいはずがない。医療や教育、介護、郵便、全部そうだ。

その意味では民営化もさることながら、JRを旅客6社と貨物会社に分割したことの罪は重い。JR北海道は全線区の92%が廃止基準以下であり、四国は86%が基準以下なのだ。

JR北海道、四国の現実

民営化の破たん・失敗という点ではJR北海道、四国が最も深刻だ。ローカル線を切り捨てればなんとかなるというレベルではない。『日経新聞』で「現状の経営体制下では解消不能」「分割時に遡った議論が不可避」とされるとおりだ。

実際、国交省は21年4月以降、JR北海道に1302億円(23年度まで)、JR四国に1025億円(25年度まで)の政府資金を投入している。経営安定基金の運用益もさらに水増しし、青函トンネルや本四架橋の更新費用を鉄道運輸機構が負担する仕組みを作るなど、事実上“再国有化”する形で両社を維持している。

しかしそれは、『北海道新聞』が「国鉄改革の失敗を認めないための泥縄的な延命策」と評しているとおりだ。例えばJR北海道では、10~30歳代の若手社員が一斉に逃げ出している。20年度は、250名の採用に対し183人が若年退職し、21年度は198名が退職している。その9割が10~30歳代の若手だというのだ。

人材の歯止めない流出の中、ダイヤを維持しメンテナンスを行うこともできない現実が深刻化し、技術継承が崩壊する。文字通り鉄道崩壊が進んでいるのだ。四国でも状況は全く同じだ。

『日経新聞』が、「限界企業とされるJR北海道では、会社の中身を仔細に見ると、『これがはたして持続可能な事業体か』という疑問が浮上する」「鉄路の維持には、土木や電気、車両、運行管理など、各分野のエキスパートが欠かせず、育成には一定の年月が要る。新人を採るそばから辞めていく会社は存続するのが危うい」と指摘するとおりである。(③へ続く)