2021年9月6日月曜日

実行委員会ニュース 09月04日(第2号)


 

 高山俊吉弁護士熱く語る
11・7第2回実行委員会を開催(9/2)


9月2日、第2回実行委員会を開催しました。「改憲・戦争阻止!大行進」
呼びかけ人の高山俊吉弁護士の実行委員会での訴えを紹介します。

 情勢が我々のものになっている。「時来たれり」という感じがする。しかし、この時というのは客観的な状況以上ではない。
 例えて言えば、いくら燎原の火のように広がる根源が客観的にあったとしても、そこに火花が散らないと爆発はしない。私たちは火花を散らさなければいけない。

〈怒りは充満した〉

 とても大事なことだと思うのは、客観的に機が熟しているにもかかわらず、そういう状況を捕まえないでいる政治勢力がこの国の核心だと名乗ってきてしまっている。
 最近の事例では、横浜市長選のことを考えました。いくつかの政党政派、会派が一致したから勝ったという議論で捉えたら、本質的に正しくないですね。この国の権力を担う勢力が瓦解しているというところで捉える必要がある。
 そして、それを納得しない人たちが、実は「勝った、勝った」と言っている人たちをも、そんなに支持していないという事実がある。
 政党の支持率を調べると、国会に政党、会派を持っている政党を支持しているという人が、全部合わせても4割しかいない。過半の人々がこの4割のリーダーだと称する人たちにレッドカードを突きつけている。

〈燎原の火を現実にする〉

 怒りは充満した。それを燎原の火のように現実のものにするための力、そこで引っ張る人たち、運動が今ない。その問題だと思うんです。そこに力を入れようというところに、私たちの存在理由があると思っています。
 私の周りもたくさんの人たちがいます。けれど今ほど菅内閣を批判し、菅を批判する声を聞いたことがない。安倍の時もこんなことはなかった。
 どうしても納得がいかない。コロナの問題で言う人たちが非常に多い。その人たちは正しい答えを何とか求めようとしてある意味あがいている。
 私はあがくという言葉を感じました。どこに答えがあるんだと思って怒りでいっぱいになっている。けれど「ここで闘おう」という方向がまだ示されていないし、自分自身でなかなか立てない状態だと思うんです。それを私たちが切り開こう、扉を開こうというところにいると思っています。

〈改憲・戦争阻止をスローガンの先頭に〉


 あらためて時代を見返して見ると、アメリカのアフガンのあの戦争、敗北がありました。敗北という言葉は使っていない。終了という言葉を使った。ベトナム戦争と同じですよね。こういう形で彼らは敗北をする。
 しかし、大敗北の決着をどう付けようとしているかというと、中国戦争、そして台湾海峡というところに向ける。
 彼らは公然と「われわれは勢力をアジアに変えなければいけない」なんて言っている。彼らが公然と言うところにまで追い詰められている。
 それに日本はまさに「時、得たり」というほどに呼応している。防衛予算、軍事予算の内容が、概算要求が、かつてないものになると報道されている。時代はまさに今、そういう形で戦争体制に進もうとしている。私はそのことを絶対に落としてはいけなくて、私たちのスローガンの一番前のところに置く必要があるなということを今、つくづく考えています。

〈現場で実感する11月集会〉

 私は労働者が立ちあがり、労働組合が立ちあがって、そこに呼応する運動が確実に起きてきて、全体が一つのつながりになっているんだというところを示す。これが11月集会の本質的な中身だと思うんです。
 みんながそれを実感すること、理屈でなく現場で実感することだと思うんです。現場で実感できるような集会をどうやって作れるだろうと、私は思います。

〈そっくり参加する運動を〉

 まず私が一番先に考えることは、みんなが参加する集会にしたい。なかなか東京まで来るのは大変だ。交通費が大変、1日潰す、そういうことも含めて。
 しかし、私たちの代表を日比谷に送り込もうという運動ではないだろう。あの野外音楽堂で感じることが私たちの運動の精神なんだということを、現場で実感できるものにしよう。
 「来てごらん。こんなに実感を持てる集まりってないんだ」というふうにみんなに言って回りたい。そのみんなを誘いたい。
 そのことを私は法律家戦線の中でも考えています。労働組合、そしてその周辺の多くの運動、全ての中で、それを一致したこの2、3か月の闘いの基本に置きたい。みんなで参加する。そっくり参加する。そういうことだと思うんです。

〈一工夫も二工夫も必要〉


 参加した中で、自分たちの闘いがこのコロナを中心とする最近の状況の中でどう変わったかということを報告できないだろうか。諸闘争の報告会に終わってはいけない。どう今変わったかということを必ず報告しようじゃないか。
 そして自分たちの運動が、自分が直接その真っただ中にいない闘いと、どこでつながっているだろうと考えるような問題提起ができないだろうか。
 その先に、現在すさまじい勢いで進められているこの戦争化、戦争への道、改憲の具体的な動きが、実は私たちが今当面している課題とつながりを持つということ。これが会場の中でみんなで行き来できる、議論が一致できるような中身にできないだろうか。
 そうなった時に、「ああ、ここへ来てよかった」「ここで自分の次の力を蓄えた」と思うものになるのではないだろうか。私はそこのところに一工夫、二工夫をする必要があると思う。
 参加の形においても、そしてまた報告の内容においても、もう一つ私たちは変えていこうではないかという気がしています。
 具体的にどうするのかというところはこれからだと思う。けれど私は、まずその精神が、今ものすごく私たちに大事で、ある意味頭の転換をしていく必要があるんじゃないかということを言いたいんですね。
 それは皆さんが現場で考えておられる、本当にギリギリの場面での経験を出し合うことと決して矛盾することではないと思います。

〈〝素人の闘い〟始めよう〉


 今、いくつもの話が出た。生命の問題であるという視点をとること。また、「素人」という言葉が出ました。
 闘いの素人と玄人というのはなんなんだろう。生きることの闘いの中に、いったい玄人と素人がいるんだろうか。とっても大事な指摘がされたと思うんです。
 そこで私たちは一つにならなければいけないということを感じました。
 私たちはみんなある意味〝素人の闘い〟を始めましょうよ。定石や定例や常識や、そういうもので考えるところから離れて、そこから確実に脱出していこうということが必要だと思います。
 ぜひ皆さんとの議論を勉強させていただいて、法律家のところにもって帰って伝えたいと思っています。

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