2012年1月20日金曜日

田中委員長 新年のあいさつ

“今年やりたいことは闘う労働組合の復権だ。
それができれば間違いなく時代は動き出す”

動労千葉・田中委員長 新年のあいさつ   1・7団結旗開き

 昨年を振り返ると…

 動労千葉は、去年の12月から、基地統廃合のための配転を強行するための訓練に反対して指名ストに起ち上がってきました。10年間止めてきた検修・構内業務の外注化について、当局がいよいよしびれを切らし、1月27日実施の提案がありました。そのための訓練が始まる状況の中で、京葉車両センターを中心にして1月10日に時限ストに入ります。
 昨年を振り返ると、東北の大震災があり原発事故があって、労働者をとりまく状況は一変しました。被災地を中心に怒りは激しく渦をまいています。全国津々浦々で、原発に対する怒りや「このままでは生きていけない。この社会を変えないといけない」と声があがっている。にもかかわらず労働組合の現状はなんなのか。こういうことを考えてきた一年でした。こういう状況であるほど、自らの職場から闘いを起こすこと、労働組合が労働組合らしくあることが大事だと思って闘い続けてきました。
 この一年間の闘いは外注化を止めてきた一年だったと思います。その成果は、本当に大きなものでした。外注化攻撃を止めたことです。JR千葉支社は昨年の10月1日に京葉車両センターでの業務の外注化を強行しようとしてきました。
1999年の提案から10年以上、組織をあげてさまざまな組織破壊攻撃を跳ね返しながら、「これだけは認めてはいけない!」と闘ってきた課題でした。一体どれだけの労働者がこの10年、20年、どういう目にあってきたのか。業務の外注化や非正規化というかたちでどんどん突き落とされ、39%が非正規雇用とされ、未来が奪われている。だからこそ外注化は絶対に許してはいけないと闘いに起ち上がりました。

大きな時代の転換点

 それともう一つ、昨年末の野田政権による「原発事故の収束宣言」を見て、この国の政府の本質を見た気がしました。10万人もの人が故郷に帰ることができずに避難している。膨大な放射性物質がいまも放射能を出し続け、原発建屋の中に人も入れない。福島では子どもたちにはすでに症状が出始めている。もう我慢の限界にきている。なにが収束なんですか。
国民をじわじわ殺しながら生き延びようとしてる政府、資本家たち、原発にむらがって利益を得てきた「原子力村」と呼ばれる人びと、これに立ち向かわない労働組合は労働組合じゃない。そういう思いでみなさんにも様々なことを呼びかけて闘ってきました。それは、いまならこの社会のあり方が変えられると確信しているからです。大きな時代の転換点に立っていることを学びました。
リーマンショックが起きたのが08年です。金融機関や大企業が破綻しました。だけど、そのすべてのツケを回されたのが労働者でした。
ギリシャ、スペイン、ポルトガル…でも最大の問題は、もっとも破綻しているのは日本でありアメリカだということです。だけど怖くて誰もそのことを言えない。すべてが崩れ落ちるから。そういう大きな転換点に私たちは立っています。
 そういう中で起こったのがヨーロッパのゼネストであり、アメリカの占拠運動であり、日本における反原発の闘いです。中国でも暴動が爆発し、モスクワでも十数万人が年末にデモに決起しています。まだ始まったばかりだと思います。しかし、もう止めることはできない。この怒りの底にあるのは、この20数年間、吹き荒れた新自由主義政策です。

労働組合の再建・復権を

 JRでは、駅で働いている青年のほとんどが非正規の契約社員です。1年ごとに契約を更新して5年で雇い止め。今年その5年目、3月に2百数十人がクビになります。さらに許せないことに、JRは派遣会社をつくり、クビにした労働者を救済するかのような言い方をして派遣会社で受け入れる。ベテランの労働者を、より低賃金で働かせ暴利をむさぼる。こんな社会がいいはずがない。
 私がやりたいことは闘う労働組合の復権です。それができれば間違いなく時代は動き出します。それだけ怒りの声が募り、変革への思いが募り、もう後がないという思いを何十万、何百万の労働者が持っている。これが団結し、その中心に労働組合の旗を立てることです。
 労働組合の再建・復権を、国鉄闘争にこだわり抜く中からつくりたい。なぜ1千数百万人の働者が非正規職に突き落とされたのか。国鉄分割・民営化からすべてが始まった。だから、「労働運動の復権」を考える時に、国鉄分割・民営化の問題を今なおあいまいにしてはならないし、この攻撃は今も血を流しながら続いています。2000年以降、鉄道業務のほとんどが外注化されました。人間ごと放り出された。最後に残ったのが検修業務と基地構内の運転業務です。2001年から、実際上は手が着いている。10年間止めてきたのは千葉支社管内だけです。

10年間止めてきた外注化

 最初は組合の中での激しい議論からでした。60歳で年金が出なくなり、だから60歳以降も雇用されないと生きていけない。「高齢者の雇用の場を確保するために業務を外注化します。外注化を認めれば、そこにみなさんの組合員を雇いましょう」と。だけど、「これを認めたらJRで働く労働者のほとんどが下請けに突き落とされる。職場を奪われちゃいけない」と。JR当局は「アウトソーシングを認める協定を結ばなければ、動労千葉の組合員だけ60歳で首になります」と言ってきました。全面的な外注化に行き着くことははっきりしている。だけど、生活がかかっているから理屈だけではいかない。本当に膝をつき合わせて議論するしかなかった。雇用の場を見つけることに全力をあげたり、十分に確保できなかったり。僕らは、大変な激論の末に、この協定を結ばない決断をしました。毎年20~30人の動労千葉組合員が退職する状況の中でした。
 これはこういう闘いがずっと続き、千葉だけ外注化が進まない。次に来たのが激しい組織攻撃でした。焦点は幕張支部でした。ほとんどの役員が配転され、残ったのは支部長だけでした。幕張では動労千葉は第1組合なんですが、ぜんぶ仕事から外されました。こういうことにも耐えて、「業務の外注化だけは認められない。それはすべての労働者の権利を売り渡すことになるんだ」という思いで闘って、止めてきました。

何があっても闘います

 JR会社がいよいよしびれを切らして踏み込んできたのが去年の京葉車両センターの外注化でした。 この10年間の闘いで、国労、東労組、鉄産労の組合員も含めて職場の全員が外注化に反対になった。外注化に動員しようとした労働者の全員が拒否しました。それで外注化はできなかった。そしたら当局は、運転のできる管理者を見つけだしてきた。それで一日勤の外注化を修正提案してきた。こんな攻撃のどこに道理があるのか。
理由があるんです。それは、4月に全面的な外注化をやろうとしているからです。千葉だけが進まず、これでは全面外注化はできない。だから、実績を一日勤でもつくりたいというのが今回の攻撃です。
 僕らはこれに立ち向かいます。全面外注化になった時点で検修職場の7割1200人が強制出向になります。人間ごと下請会社に持っていく。これには、何があっても闘います。
 なぜ、われわれが闘うのかを再確認したい。これだけ膨大な労働者が非正規職に突き落とされたのは、労働法規が規制緩和されたからです。だけど、労働法規が規制緩和されて自動的に非正規職に突き落とされたわけじゃない。職場での一つひとつの攻防に、労働組合が闘えなかった結果、労働者がここまで突き落とされたんです。
だから、ここで止めることが必要です。止めることができることを示すことが重要です。そのことを抜きに労働組合を復権しようといってもただの空論にすぎない。動労千葉ができるんだから、それはできるということを示したい。

組織を拡大を

 この10年間、外注化が止まった理由がもう一つあります。闘いのたびに御用組合から動労千葉に組合員が加入してくる状況をつくったことです。これができたから、外注化が止まった。
 これは、闘う労働組合の復権とはなんなのかに関わる問題です。戦後の日本の労働者は誇りと命をかけて闘ってきた。だけど現場の怒りの声、闘いへの思いが何度も裏切られ続けてきた歴史だったことも事実です。日本の労働運動が実現できてないことがあります。素晴らしい闘いがありますがたくさんある、しかし必ず分裂する。原則を守った左派が少数派に転落し、影響力もなくなって終わってしまう。この繰り返しでした。
 原則を守った労働組合が団結を維持し、組織を拡大し、社会的影響力を大きくしていく。動労千葉はそれをやりたい。
 動労千葉は、よく闘ってきたと思っています。分割・民営化の時には、全員がクビをかけて闘いました。「こんなことをされて、黙っているわけにはいかない」という思いで大型免許を取ったりして、クビになっても家族を食わせるという思いで闘いに立ちあがり、団結を守り抜きました。そして堂々と胸を張って、JRに乗り込みました。40人の解雇者を守ってきました。これをこれで終わらせずに、これが組織拡大につながった時に、展望も生まれてくる。労働組合は、労働者一人ひとりが持っている力を団結させることができれば、もっともっと大きな力、国際的な力を持てる。社会を動かす力を持つ存在だと思っています。小さいけれども、そういう存在になりたい。

房州鉄道研究会サイトから転載