2015年8月27日木曜日

外注化阻止ニュース 第213号

http://www.doro-chiba.org/ga/gaityuuka213.pdf


労働組合はなんのためにあるのか?
仲間を守ってきた動労千葉の歴史

 古い話ですが、動労千葉の出発点は、勤務中の飲酒をでっちあげた懲戒免職事件でした(1968年)。青年部を中心に「仲間を守れ」の声が上がりますが、組合の犠牲者救済委員会では12対11で「救済はしない」となりました。
 しかし、組合員有志で「守る会」をつくり、やがては過半数を超える組合員が会員となり、裁判にも勝って職場復帰を果たしました。

事故を起こした運転士を守った

 〝仲間を守る〟――その後も動労千葉はこの一点で闘ってきました。1972年、船橋駅での列車追突事故で758人もの負傷者が出たときも、動労千葉は当該の運転士を守り抜き職場復帰させました。事故の原因は2~3分間隔の無理なダイヤと信号故障で、当局の責任を追及したのです。
 1987年の国鉄分割・民営化に対して組合員1100人がストライキを闘ったのは、3人に1人が解雇(約10万人がJRに行けない!)という状況で、〈仲間を守る〉を貫き、全員が団結して闘う道を選んだからです。現在までスト解雇者を支えるため物資販売や事業などを組合で行い仲間を守って闘ってきました。
 最近では06年、幕張車両センターで電車の入れ替え中に構内運転士が電車を脱線させて洗浄機を壊す事故を起こしました。「被害総額は4億円」「懲戒解雇」と言われ、職場には重苦しい空気が漂いました。
 しかし、動労千葉はその重圧をはね返して闘い、事故の場所は3年前から動労千葉がATS設置を要求してきたことを追及しました。
 結局、会社側は「出勤停止15日」の処分しか出せませんでした。会社は事故箇所にATS設置して自らの責任を認めたのです。

仲間を守り職場の状況を変えよう

 「仲間を守る」「みんなは一人のため、一人はみんなのために」――動労千葉は言葉でなく実践としてこれを行ってきました。
 管理者や会社の胸先三寸で解雇・処分される状況に黙ってしまえば、「自己責任」「仕方ない」で労働者自身も縛ってしまいます。
 一握りの者だけが正社員になれる仕組みで労働者を支配する今のCTSの状況を変えよう。現場の意見が通り、誰もが望めば正社員になれる職場にするための労働組合をつくろう。動労千葉に加入し共に職場を変えよう。

ニュースへのリンク