2018年1月13日土曜日

日刊動労千葉 第8389号

三里塚 新年デモ&団結旗開き
追悼 中江昌夫 顧問

三里塚
新年デモ&団結旗開きで決戦の火ぶた切る

http://doro-chiba.org/nikkan_tag/8389/
新年デモの前に東峰神社でしめ縄飾り
旗開き最後の団結ガンバロー


 1月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟は新年デモと団結旗開きを行った。
 10時から、市東さん宅南の東峰開拓組合道路で集会が始まった。動労千葉からは渡辺靖正執行委員がマイクを握り、昨年に横芝光町で開かれた空港機能強化案の説明会で、住民として徹底弾劾の闘いに立ったことを報告した。集会後、120人でデモを貫徹した。
 午後1時、成田市内のレストランで団結旗開きが150人の参加で開かれた。冒頭、東峰の萩原富夫さんが「闘争宣言」を読み上げ、市東さんの農地を守り抜き、第3滑走路・空港機能強化策を粉砕し、安倍政権の改憲・戦争への動きと真っ向から闘うことを宣言した。そして、空港機能強化粉砕にむけて3・4芝山現地闘争と、市東さんの農地強制収用を許さない3・8請求異議裁判闘争を3月決戦として闘い、4・1全国総決起集会に攻め上る方針を明らかにした。続いて市東さんが「1年を力強く闘い抜きます」とあいさつし、乾杯の音頭を取った。
 連帯のあいさつの最初に動労千葉の田中委員長が立ち、52年の不屈の三里塚闘争が存在する巨大な意義を確認し、労農連帯を一層強化して進むことを誓った。関西生コン支部の西山直洋執行委員は、昨年12月近畿一円のミキサー車、バラセメント車を止めたゼネラルストライキの勝利を報告し、三里塚と連帯してストを武器に闘う決意を述べた。
 最後に太郎良さんの音頭で団結ガンバローを三唱。2018年の勝利を固く誓い合った。




追悼 中江昌夫 顧問

http://doro-chiba.org/nikkan_tag/8389/

 昨年の12月29日、動労千葉顧問の中江昌夫さんが、肺炎のため亡くなられた(享年87歳)。
1月4日~5日の葬儀には地元の町内会はじめ多くの人びとが参列し故人を偲びました。
 中江さんは、1959年機関車労働組合から動力車労働組合に名前を変えてから20代で動労中央執行委員を務め、動労本部の書記長、副委員長を歴任しました。
 1979年動労千葉が動労から分離独立したときに、中江さんは「動労は変質した。私は動労千葉と共に歩む」と副委員長の要職を投げうって本部からの決別を決断しました。そして全国各地の地方本部にオルグで飛び回って動労大改革、闘う労働組合の再生を訴えた大先輩でした。そして船橋市民の会を立ち上げ、船橋市議会議員を5期務め、市政では反核平和都市宣言の実現や船橋文学賞の創設などに貢献しました。
 1983年船橋市議会議員選挙で立候補者76名中、堂々4位で初当選した。 

 そして動労千葉顧問、国鉄闘争全国運動の呼びかけ人として、ともに闘いの道を歩んできました。
 中江さんは、労働運動家であり政治家であるとともに「月鈴子」の俳号を持つ俳人でもありました。
 中江さんの遺志を受け継ぎ、闘う労働組合を甦らすために奮闘することを決意します。

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