2017年9月6日水曜日

日刊動労千葉 第8329号

追悼
三里塚芝山連合空港反対同盟
北原鉱治事務局長

http://doro-chiba.org/nikkan_dc/n2017_07_12/n8329.htm

 8月9日、三里塚芝山連合空港反対同盟結成以来、闘いをけん引してきた北原紘治事務局長が逝去されました。闘いの最前線に立ち続け、三里塚闘争51年を支えぬいた最高の指導者です。なによりも北原さんは動労千葉と三里塚の労農連帯の最高の理解者でした。
 8月19日に葬儀・告別式が成田市寺台の式場で行われ、前夜の通夜に続き、全国から300人に及ぶ人びとが参列し故人を偲びました。今号では、8月10日、市東孝雄さんの農地明け渡し強制執行を阻む「請求異議裁判」第3回弁論の前に開催された総決起集会における田中委員長の発言を紹介し、心からご冥福をお祈りするとともに、闘う決意といたします。

動労千葉の闘いの最高の理解者

 北原さんは、三里塚闘争の一貫して変わらない揺るがない心棒だったと感じています。北原さんぬきに今の三里塚闘争も、私たち動労千葉の闘争も存在しなかったように思います。それだけに北原さんが亡くなったということは、私たちに、「この時代に腹を据えて立ち向かえ」と訴えている、というふうに思えてなりません。
 特に北原さんは、動労千葉と三里塚の労農連帯の最高の理解者でした。動労千葉が三里塚ジェット闘争に起ちあがった時も、その支援共闘会議は、今は亡き浅田光輝先生と北原さんが呼びかけ人になって立ち上げてくれたものです。動労千葉が三里塚ジェット闘争を理由に動労本部から統制処分を受けようとしたときに動労本部に乗り込んで、激しく動労本部革マルと闘ってくれたのも北原さんでした。
 私たち動労千葉は、言葉にいいつくせないほどの恩義を、北原さんに、反対同盟に、三里塚の闘いに感じています。この闘いがなかったら動労千葉は存在しなかったし、国鉄分割・民営化反対闘争も、それ以降の闘いもなかったと思います。

三里塚闘争が活きる時代

 今日ここで新たに決意したいのは、今まで50年間貫いてきた三里塚の闘いが、いま必要な時代、活きる時代、僕らが守り抜いてきたものが力を帯びて光を帯び、多くの人々をとらえる時代が来ていると思います。北原事務局、戸村委員長を先頭として創り上げてきた全てを、僕らが担って闘っていきたいと思います。
 その最大の闘争が市東さんの農地を守ることであり、もう一つが第3滑走路建設に対する怒り、横芝まで広がろうとしている激しい怒りと反対の声を組織して、安倍政権とこの腐りきった社会を根本から変革し打ち倒していく、新しい時代の三里塚闘争を作り出していくことだと思います。私たちも、第3の分割・民営化攻撃との闘いと共に闘っていきたいと思います。

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