私の住む南相馬市原町区は、原発事故で30 キロ圏内に入って屋内退避がもう一ヶ月も続いています。
今まで、精魂込めて培ってきた会社、社員、お客様、地域のすべてが根底から崩壊してしまいました。
四つのテナント店は閉鎖、本店もやっと、おそるおそる半日営業を始めたところです。
いつ避難命令がでるか?はたまた屋内退避が解除になるのか?
毎日テレビのニュースに釘付けになっています。
津波で家や家族を失った人、小さい子供を抱えて避難所を転々としている人、20 キロ圏内に住んでいたため数時間の間に強制的に避難バスに乗せられ連れ出されてしまった人、様々な出来事が30 人の従業員の身に降りかかりました。みんなばらばらになり寄る辺ない不安の中で毎日を過ごしています。
会社は休業届けを出して、従業員の給料を最低限確保しましたが、矛盾だらけのこの国の法律に、はらわたが煮えくり返るほどの強い怒りを抱えています。
あたり前に思っていた日常生活が本当に数時間で国家によって崩されてしまったのです。
これは、自然災害ではありません。
人為的災害です。
みなさんは、津波の災害と原発事故の災害を同じ感覚で見ているかもしれませんが、とんでもない違いです。
私たちは、水道も、電気も、ガスも、今では物資もガソリンも普通にあるのに、透明なバリアを張られて、閉じ込められています。
この地域はいまや、日本という国から抹殺されようとしていると感じる出来事が続いています。
新聞も、郵便も、銀行も、荷物も、30 キロ圏内というだけで届かなくなっています。(地元の信用金庫と信用組合は、使命感でがんばっています)
実際、20 キロ圏内の人たちはそうされてしまっています。
津波で家族を失った20 キロ圏内の人たちは、放射能汚染の恐れがあるとの理由で、遺体を捜しに行くこともできません。
こんなことが悲しみと共にささやかれています。
「このごろ、カラスの姿が少ないよね。みんな浜に行っているみたいだよ。いまどき、鳥葬なんてむごすぎる」
次々と出される、復興支援と称する金融や雇用の助成政策も、過去の例に倣った基準がそのままで言葉だけが「震災支援」と付け加えられて実行されるので、我々は、いつも「対象外」または「現実にそぐわない」という壁につきあたります。会社にとって、従業員は大切な宝です。資金は血液です。それを一番に支えてくれるはずの国家の施策は、残念ながら今のところ末端までは届いていません。(私は民主党だけを無能だといっているのではありません。50 年間与党だった自民党こそ、それ以上の責任があると思っています)
これは人災です。
明日あなたの身にも降りかかるかもしれない人災です。
どうぞ、このことに気づいてください。
原発事故は人災です。
空に、海に、放たれた放射能が、私たちの暮らしを縛り付けています。
自分の会社の社員に、30 キロ圏内に仕事をしに行けと命じることができますか?
機械やトラックや資材を出しますか?
避難命令が出るかもしれない地域の会社に、新たな融資をしますか?
会社運営、経済原則に則れば答えは「ノー」です。
あたりまえのことです。
こうして30 キロ圏には見えないバリアが張られていくのです。
人災は、人間の叡智で防げるもの。
今出来ること、それは、外側に居る皆さんに、この出来事を自分の身に置き換えて私たちの声にならない不安、いらだち、怒り、悲しみをリアルに想像して欲しいのです。
人間として、声にならない不安、いらだち、怒り、悲しみをリアルに感じたとき、初めて人間の叡智が働き始める、そうであって欲しいと願っています。
どうぞ、私たちの存在を忘れないで下さい!
電気を使う時、思い起こしてください!
この電気は、30 キロ圏の人々の犠牲の上に成り立っているかもしれないということを。
この絶望から私たちが抜け出せるとしたら、それは外側にいる人たちがこの苦しみに共感して、「おかしい!何とかしなくちゃ!」という声を国家や社会にむけて発信してくれること、そしてその声が我々の場所にまで届いてくるような大きさになることです。
どうぞ、あなたの周りの人に、「かわいそうな南相馬」ではなく「自分の身に起こりうる理不尽な出来事」としてこの現実を知って伝えてください。
政治批判に費やす時間を、真の復興プロジェクトを構築する叡智の結集の時間に変えてください。
そのことこそ、私たちに希望と生きる力をもたらす原動力となるのです。
「知ってください!」
これが、今の私にできる、精一杯のことです。
重ねられる言葉の隙間に闇見えて逢魔時(おうまがとき)の空燃え立ちぬ
2011 年4 月10 日
株式会社北洋舎クリーニング
代表取締役 高橋美加子
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