2015年4月15日水曜日

外注化阻止ニュース 第178号

http://www.doro-chiba.org/ga/gaityuuka178.pdf


事故を起こした運転士守る
船橋事故闘争
「闘いなくして安全なし」確立

 動労千葉の原点は、船橋駅事故にあります。
 1972年3月、船橋駅の総武線上りホームに停車していた電車に後続の電車が追突する大事故が発生。朝のラッシュ時に758人が負傷する大事故は大きな衝撃を与えました。
 運転士はその場で逮捕され、マスコミは「運転士のたるみ・ミスが原因」と報じました。
 事故の原因は、信号の停電と2分半間隔の過密ダイヤにありました。過密ダイヤを維持するためにATSが作動しても確認ボタンを押してホームに進むよう指示していたのです。ところが事故が発生すると「規定を守らない運転士が悪い」と言ったのです。
 事故当時、高度成長期で千葉県の人口は急増。総武線の複線化や電化が進められ列車の増発やスピードアップが行われました。しかし線路や踏切、保安設備の整備はまったく追いつかずに事故が多発していたのです。

「明日は我が身」の切実な思い

 運転職場で働く労働者にとって事故はもっとも切実な問題です。ところが当時、事故問題は労働組合の課題にはなりませんでした。ほとんどが当該運転士の処分・解雇というかたちで処理されていたのです。
 事故が多発する状況でそれが運転士の責任にされることに多くの運転士が「明日は我が身」と胸を痛めていたのです。
 こういう状況に対し、動労千葉地本(動労千葉の前身)の組合員は「事故は運転士の責任ではない。事故責任の転嫁を許すな」を合言葉にして猛然と闘いを開始したのです。
 何百人もの組合員が船橋警察署に押しかけて5日間で運転士を釈放させ、管内全域を歩いて線路状態を確認し、組合の指示で減速運転を実 施して、線路の改善を要求しました。
 次第に事故の真相が明らかになりました。直接の原因だった信号の停電は、電気保守部門の合理化で40年間一度も張り替えられずに放置さ
れ、補助電源もありませんでした。運転士の「不注意」が主因ではなかったのです。
 こうした闘いの結果、運転士は職場復帰を果たしました。事故の原因は合理化にあり、国鉄当局に責任があることを認めさせたのです。
 これ以後、動労千葉は「闘いなくして 安全なし」を確立し、事故問題を切り口に職場の労働条件を守るために闘ってきたのです。

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